【ベトナム祭日】5月19日ホー・チ・ミン主席誕生記念日について

今回は、ホー・チ・ミン主席生誕記念日についてです。
みんさんは、ホー・チ・ミンさんはご存知ですか?
有名なベトナム人と行ったら、この方が出てきますよね。
ベトナムでは、英雄的な存在です。
ベトナム建国の父とも呼ばれ、紙幣にも印刷されています。
ホーおじさんとして、親しまれてもいます。
そんなホーおじさんの誕生日が、5月19日です。
この方は、どんな方だったのか、
どんなことをしたのか。
簡単ではありますが、ご紹介できればと思います。

生い立ち
フランス植民地であったベトナム中部のゲアン省ナムダン県で生まれました。
儒学者であった父の影響を受けて、中国語を習得しました。
そして、父が阮朝の宮廷に勤めることになり、フエに移りました。
そこで、国学のフランス語を学びました。
本名は、ホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh)さんではありませんでした。
父の名前は、グエン・シン・サック(Nguyễn Sinh Sắc)さんで、
ホー・チ・ミンさんは、グエン・シン・クン(Nguyễn Sinh Cung)さんでした。
始めから、ホー・チ・ミンさんではなかったんですね。
旅立ち
この後、コックの見習いとして船に乗り、世界を回ることになります。
この時に、フランス、イギリス、ロシア、中国など、
各地を巡り組織運動などを行っていました。
約30年間海外を旅していました。
ベトナムに戻ってきた後は、中国に潜入するために中国人のような名前にしました。
それが、「胡志明(ホー・チ・ミン)」です。
ベトナム帰国後
帰国してすぐの頃は、日本がベトナムに進駐していました。
この後起こった第二次世界大戦が終結後、
ホー・チ・ミンさんはベトナム独立宣言を発表します。
これにより、ベトナム民主共和国が建国されました。
南北分断
ここまできたのですが、フランスやアメリカ、ロシアの連合軍は、
これを受け入れませんでした。
そして、ポツダム協定により、北緯17度線(ダナン付近)より北に中国軍、
南にイギリス軍が駐留することになりました。
その後、フランス軍がサイゴン(今のホー・チ・ミンシティ)に入り、
南側の支配権を奪いました。
ホー・チ・ミンさんは中国の進駐が長引かないように、
再びフランスの支配下になることにしました。
そこから、フランスへ渡って交渉するなど、
ベトナム独立のために尽力しました。
妥結寸前まで行ったのですが、決裂してしまいます。
インドシナ戦争
フランス軍が、ついに動き始めます。
ホー・チ・ミンさんが率いて、フランス軍と戦います。
不利な状況でしたが、北部山岳地帯の「ディエンビエンフー」にこもり続け、
フランス軍を圧倒しました。
ベトナム戦争
フランス軍がベトナムから追い出された後、アメリカの支援を受けて、ベトナム共和国が作られます。
ただ、独裁的な政治を行なっていたアメリカは、かなりの反発が出てきました。
ここから独立に向けて動き出します。
この戦争が、映画等でよく見られるベトナム戦争になります。
ここでも、ベトナム戦争の終戦に向け、尽力されます。
しかし、終戦を見る前にホー・チ・ミンさんは亡くなられています。
ホーおじさん
色々な国に支配され続け、
戦争を続けていたベトナムを独立に導いた「ホー・チ・ミン」さん。
このため、ベトナム人が苦しい時の心の拠り所になっています。
そして、ホー・チ・ミンさんは、ポケットに子供たちに配る飴を持っていたというエピソードから、「ホーおじさん」で親しまれています。
最後に
ハノイに行くと、ホーチミン廟で、
ホー・チ・ミンさんのご遺体を見ることができます。
限られた時間でしか解放されていませんが、
ご興味がありましたら行って見てください。
とても安らかに眠られていますが、オーラを感じますね。
そのあとは、ホー・チ・ミンさんの家と博物館も行くと、いいですよ。

私は、もっとホー・チ・ミンさんのことが知りたくなりました。
伝記を探してみようかと思います。
ベトナム語は売ってるんですけど、
日本語がなかなか見つけれないんですよね。
ベトナムの歴史をもっと知りたい!
という方は、こちらはいかがでしょうか。
簡単に歴史に触れたい場合は、こちらもあります。
これからも、歴史にたくさん触れていきたいと思います。
では、また。