ベトナムについて知ろう~首都ハノイ解放記念日~

 
みなさん、こんにちは。 べにかぷのマサヒロ(@JpPicnic)です。
 
今回は、ベトナムの祭日の一つである「首都解放記念日」を見ていきましょう。
この記念日は、10月10日になります。
日本では体育の日(現在は変わりました)として慕われていますが、
ベトナムでは「首都解放記念日」となっています。
1954年10月10日に、約100年にも及ぶフランスの支配から解放されました。
この祭日は、首都解放なのでハノイのみの行事として残っています。
 
◎目次

第一次インドシナ戦争

1945年の第二次世界大戦終結後、ベトナムは独立宣言をしました。
その時のベトナムは、「ベトナム民主共和国」でした。
独立宣言後、フランスはベトナムを再度支配しようと動きます。
これによって、民衆と武力衝突を起こします。
さらに、フランスは南部に傀儡政権を成立してしまいます。
その中、ホー・チ・ミン主席は自らフランスに渡り、独立交渉を継続。
しかし、交渉は決裂してしまいました。
 
 
そして、1946年11月20日のハイフォン港の密輸船の取り締まりをきっかけに銃撃事件が発生ました。
これをきっかけに、軍事衝突に発展してしまいます。
その一ヶ月後の12月20日にホー・チ・ミン主席は、フランスに対して全面抗戦を宣言します。
これにより、第一次インドシナ戦争がはじまりました。
その後、1950年にソ連と中国が民主共和国を承認しました。
この時冷戦下にあったため、南部のフランス軍にアメリカが軍事介入をしました。
これにより戦争は、長期化しました。
その中の第一次インドシナ戦争中の最大の戦闘「ディエンビエンフーの戦い」で、
ベトナムはフランス側に勝利しました。
これにより、休戦協定(ジュネーブ協定)締結と、
インドシナ半島からのフランス全面撤退へとつながります。
10月10日に、最後のフランス部隊が撤退したことで、
首都であるハノイを奪還できました。
この日を記念日として残したのが、「首都解放記念日」になります。

ベトナム戦争の終わり

首都ハノイが戻ったのですが、南北が分断されることになりました。
そして、1960年にはアメリカがさらに軍を強化します。
北ベトナムは、「南ベトナム解放戦線」を組織し。
ここから先は、皆さんも一度は目にしているかもしれませんが、
アメリカの映画に描かれているような「ベトナム戦争」となります。
ちなみに、ベトナムでは「抗米救国戦争」と呼んでいます。
この時、アメリカ軍は「ベトナムを原始時代に戻してやる」と豪語していました。
その後、北ベトナムはゲリラ戦を展開し、
1975年に南ベトナムの首都サイゴン(今のホーチミン)を陥落させた。
1976年7月に「ベトナム社会主義共和国」として統一されました。

街の様子

ベトナムのハノイでは、今でも国旗を掲げています。
街の家の前に国旗を掲げています。
戦争は起きてほしくないですが、忘れてはいけない過去なのかもしれません。
もう少し詳しく知りたい方は、下の本がオススメです。
 
その他、文化や歴史について色々な情報が書いてあります。
これからも、ベトナムの歴史や文化に触れていき、もっと色々なことを知りたいですね。
 
それでは、楽しいベトナムライフを!
ではまた!